第1回 −音が呼び寄せてくれたふるさと−
文/ Riki(Yellow Soul)
昭和42年 播州生まれ。私は瀬戸内海に面した「高砂市」で生まれ育った。能「高砂」に謡われる松の名所として知られる海の町。18歳までここで育った私の生家は、吹けば飛ぶような小さな燃料店を営んでいた。なぜ吹けば飛ぶのか、それは父が働き者ではなかったからだ。しかも暴漢者でもあり、更には浪費者であるというパーフェクトに「尊敬できない父親」だった。彼の語り継がれる逸話は今となっては母や弟との笑い話でもある。突然車を3台一度に買って納車された日の話(しかも1台はバスのような大型車…)、突然の休日に床の間に運び込まれた本物ビリヤードセット一式(買った本人はルールを知らない)、弟の結婚式の新郎父の挨拶では「自分の人生」を語り述べる事、長時間(新郎からストップの印籠が)。笑い話が出来るのは、父があの世に逝ったからでは無く、愛想を尽かした母が別居したからだ。父はきっと私の生家でどうにか暮らしているのだろう、私は長年会っていない。
今でこそ笑い話になる父の元を、私は18歳高校卒業を待つように出た。学校生活は最高に楽しかったし、仲間もみんな大好きだったが、親の干渉なく自分の人生まるごと引き受け、自分が生きる為の金を自分の手で稼ぎたかった。大阪に出る日の早朝、駅に着くと高校のクラスメートたちが何十人と見送りに来てくれていた。手渡された大きなバラの花束を抱え電車に乗り、ふるさと「高砂」は遠く小さく離れて行った。
あれから25年経った今、大台町(当時宮川村)に田舎暮らしを求め移住し11年目になる。宮川村の暮らしは求めていたものがそこここにあり、しみじみ「この村もまたふるさと」と感じ、充実している。
25年経った今も変わらず音楽活動を続ける中、私にある変化が起こった。ふるさと訛りさえ聞く事を避けていた郷里について歌を書いたのだ。「潮干狩」。小さい頃から大阪に出るまで春になると必ず出掛けた潮干狩り。春の日差しを感じる頃、思い出した瞬間歌になっていた。歌の最終1行の「私のふるさと」というくだりで何度も声が震えてしまう。私いったいこれまで何を拒絶し、そして今、何を許そうとしているのか。しかも変わらず続けている音楽活動がもういちど私の懐にふるさとを戻入れてくれようなど、高砂を離れるあの日には想像し得なかった。その頃を境にまるで一気転身、今は播州特有の秋祭り「仁輪加太鼓」や播州食文化「かつめし」などの播州文化研究をこの遠隔地ですすめている。何たる変化の滑稽さ。
いつか、いつかきっと私は「そこに還る」ことができる。音が「私のむらきお」を呼び寄せてくれた確かなるいつかは、もうそこまでやってきている。私よ、おめでとう。
2011.04.24
ライターノーツ/
RIKI(Yellow Soul)大台町在住ミュージシャン。
Yellow Soulは「音のむらきお」担当。
近日中にYellow Soul初のCD発売予定
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