第8回 −「結い(ゆい)」−
文/吉田 アサ子(主婦:東京都)
「結い」
秋田県と岩手県の県境の面積を森林がほとんど占め小さな村「鹿角郡八幡平村」が私の故郷です。
元々は南部藩でしたが、廃藩置県で秋田県に組み入れられたせいで、方言などに南部藩の影響が残って
いると感じます。
「村の記憶」の写真集を見ていていろいろの記憶がよみがえってきました。
特に「結い」(助け合い)での人々のかかわり合いです。
小学校の運動会、桜の花の咲く頃村中で花見です。小学生のいない家の人たちも重箱にごちそうを
つめて、ゴザを持って集合です。私たちも隣のおばあちゃんの「ぼたもち」が楽しみでした。
お盆のお墓参りもお酒、ごちそう、ゴザを持って集合です。お墓で年1回の宴会です。
今もわからないのですが、お墓で使用した食器は必ず洗って帰る場所が決まっていました。
いつか誰かにたずねようと思いながらも、今に至っています。
人々の助け合いが一番発揮されるのは冠婚葬祭とおもいますが、特にお葬式ですね。
葬式行列というものがあり、亡くなった方の親戚代表の人たちが色々のお供え物、飾り物、写真などを
持つ人を決め、名前を読み上げ並びます。故人との関係で持ち物が決まっていました。
数年前叔母のお葬式で行われていて驚きました。
自宅でのお葬式をしなくなった現在、段々日本古来の風習が消えていくのではないでしょうか。
お葬式の案内も電話とかでなく、男性2人1組で各家を回ります。助け合いの「結い」というか
隣組があり特にちょっと前まで行われていた土葬する前の穴ほりはそこの人たちが行ってきました、
裏方の仕事ですね。
古い思い出ですが、父が行っていた無尽講がありました、月に1回集まって籤を引いてお金の
融通をしていたのですね。村人同士で助け合う互恵の心でしょうか?
その中にいたときは若かったせいもあり、うっとうしいと思ったりもしましたが、村を離れて
しまった今は、とても心温まる思い出です。これを書いていて昔のことが色々思いだされます。
幼い時代のことがよみがえってきました。
ライターノーツ/吉田 アサ子(Yoshida Asako)主婦
吉田さんは私の名古屋時代の時開催していた写真教室の生徒さんの奥様。現在は東京在住です。2011年東京での写真展開催時に何年かぶりにお目にかかりました。秋田出身ということで原稿をお願いしました。私の秋田の記憶というときりたんぽ鍋です。三重の同級生の家が秋田出身で、よく年末に呼ばれて食べさせていただきました。比内鶏の出汁をじっくりと時間をかけてお父さんが鍋作りを担当していたのを思い出しました。吉田アサ子さん、原稿ありがとうございました。
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