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第6回 −「200年の水の路に、小さな風が踊る」−
文/西井 勢津子

『200年の水の路に、小さな風が踊る』

およそ200年前のことだそう。私の集落を流れる農業用水は、壮大なロマンと過酷な労働によって引水された。櫛田川をせきとめ、延べ247,000人もの人力を要し、全長30kmにも及ぶ立梅用水。「岩一升、米一升」。難関の岩山を掘る作業は米に換えられたという。今も残る岩壁やトンネルに、当時の過酷な作業を想う。
そして、今を生きる人たちの手で、なんと10年以上かけて500人以上が関わり、用水路沿いに3万本のあじさいが植えられた。なぜそれほどに植え続けたのだろうか。それは、先人が残してくれた歴史や文化を愛する気持ち。一方で農業の近代化と改良工事によって、田園の景観が変化してしまったことを憂う気持ち。再び守るべき農村の姿を描き自分たちの使命とした名もなき地域の人々の願いによるものだったそう。
「あじさいいっぱい運動」。平日も行列ができる農村レストラン「まめや」さんは、この運動から生まれた。暑い夏の日にTシャツを汗で濡らしながら、黙々とあじさいの剪定を続ける方の背中。それを自分がやったとは決して言わない寡黙な背中。「その方に、何をやってきたんだろう、という終わり方だけはさせてはいけない」。代表の北川さんがいつも称えるその背中。そのお話を聞くたび、想像するだけのくせに、私はいつも泣けてしまう。
立梅用水は、みんなが愛する水の道。200年もの年月を、はるか30km先から豊かに流れ注ぐ。私は、そんな風景の中に惹きこまれるように移住した。2011年7月のこと。地域の人々が守らん・活かさんとする水と土。その上を吹く小さな小さな風になれればと。もう200年先も、この風景が変わらず愛されるようにと。
もうすぐ2012年1月。私がお借りしているこの家は、ちょうど214年前、名士西村彦左衛門が訪ねてきて、用水の開設を決意した場所だという。この家に刻まれた深い歴史に気持ちが溺れそうになりながらも、せめて移住者は風となって使命を果たそう。

ライターノーツ/株式会社地域資源バンクNIU 代表取締役 西井 勢津子 
西井さんは三重県多気郡多気町丹生に在住しています。地域資源の活用を実践するために株式会社地域資源バンクNIUを起業。忙しい日々を送る中1人の子供さんの子育てにも奮闘する元気なお母さんでもあります。
私も2012年1月に三重の百人対談でお世話になりました。
西井さんお忙しい中原稿ありがとうございました。

西井さんの活動情報はこちら
三重の百人対談
NPO法人起業支援ネット
コミュニティ・ユース・バンク momo
スロービジネスカンパニー

株式会社「地域資源バンクNIU」
住所:三重県多気郡多気町丹生1332-2


撮影:松原 豊

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ありがとうございました!

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 「私のむらきお」 とは 「むらきお」 という言葉から思い起こす記憶の断片ををいろいろな方々に文章にしていただいたものに松原が撮影した 「村の記憶」 の写真を添えてお届けする連載ページ。文章と写真がコラボレートして様々な 「むらきお」 が生まれて欲しい、という思いからはじめています。(「むらきお」とは「村の記憶」を略した言葉です。ひらがなで書くと柔らかい感じになるので事務所で名付けました)

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